こんちは!
サンドです。
MARVEL/マーベルの魅力を知り、沼へとハマってきている皆様。
作品を楽しむのもいいですが、その作品やキャラクターの作り手
さらには創業者たちのことも知りたくないですか?
ここまでマーベルが発展してきた経緯や、映画の元となっているキャラクターは誰によって生み出されたのかなど
知ればもっとマーベルへの愛が深まるはずです!
そんなわけで今回は、マーベルの歴史を紐解いていきたいと思います。
タイムリー・コミックスの創業
『 Marvel Comics 』#1 ©MARVEL
マーベル・コミックスの前身であるタイムリー・コミックスを創業したのが、マーティン・グッドマンという人物。
彼はもともとパルプ・マガジン(アメリカで出版されていた安い作りの雑誌)の出版社を経営していました。
1938年に、スーパーマンが登場する『Action Comics/アクション・コミック』の1巻が現在のDCコミックスから創刊され、大人気となりました。
これがアメリカでのヒーローものの始まりです。
そんな中他社のフランク・トーピーからコミック出版の提案を受けて、マーティンは1939年にタイムリー・コミックスを設立し、『Marvel Comics/マーベル・コミック』を出版しました。
これはタイムリー・コミックスの完全オリジナル作品ではなく、既存のイラスト付きのストーリーを買い上げて、コミックとして出版するという形式でした。
『マーベル・コミック』 には、ホートン教授によって開発されたアンドロイドの ヒューマン・トーチ(ファンタスティック・フォーのジョニーとは別人) が登場する”The Human Torch”や、人間と海底人のハーフであるサブマリナー/ネイモア・マッケンジーが登場する”The Sub-Mariner”といったヒーロー作品が収録されました。
『週刊少年ジャンプ』に、”ONE PIECE”と”鬼滅の刃”などが掲載されているようなイメージです笑。
『マーベル・コミック』 は1巻だけで80万部以上の売り上げを記録しました。
ゴールデン・エイジにおける躍進
グッドマンはジョー・サイモンとジャック・カービーを雇い、次々にコミックを出版しました。
1940年には、『Marvel Mystery Comics/マーベル・ミステリー・コミック』8巻にてアメコミ史上初のクロスオーバーが実現しました。
“The Human Torch” にサブマリナーが、 “The Sub-Mariner” にヒューマン・トーチが登場したのです!
この時代で既にこのスタイルを確立していたのは驚きですね…
また、同年に ジョー・サイモン と ジャック・カービー が描いた『Captain America Comics/キャプテン・アメリカ・コミックス』1巻が発売されました。
第二次世界大戦中、アメリカ兵士は熱心にキャップの物語を読んでいて、タイム誌よりも売れていたそうです。
そしてグッドマンの甥であるスタン・リーがタイムリー・コミックスにアルバイトとして雇われたのも1940年のことでした。
その約1年後、なんとリーは10代後半にして編集長に任命されました。
30年代から50年代初期までの期間は、アメコミのゴールデンエイジ/黄金時代として知られています。
コミック・コードによる衰退
戦争が終わるころには、ヒーローもののコミックは衰退していきました。
50年代には精神科医のフレデリック・ワーサムが、青少年の非行はコミックによる影響だと主張しました。
その影響を調査するために公聴会も開かれ、1954年にはコミック出版業界が、コミックス・コード(コミックス倫理規定)委員会を制定しました。
ホラーものや戦争ものなどが規制の対象となり、承認されたコミックだけがその証となるスタンプを押されました。
1951年にタイムリー・コミックスから改名したアトラス・コミックスは、業界全体の落ち込みもあり、売り上げは激減していました。
シルバー・エイジにおける再出発
『 Fantastic Four 』Vol.1 #1 ©MARVEL
スタン・リーは自分の書きたい作品が書けなくなり、グッドマンに退社を伝えるつもりでした。
ところが、グッドマンからヒーローチームのコミックを出そうとの提案がありました。
実は50年代中頃からDCはヒーローものを再展開し始めました。
そしてバットマンやスーパーマンらが集結する『Justice League of America/ジャスティス・リーグ・オブ・アメリカ』が1960年に発売され、人気を集めました。
グッドマンの提案はこれを受けてのものでした。
リーは妻から、「どうせ辞めるのであれば、好きなように書いてみたらどうか」と言われたそうです。
リーはDCの真似事だけにはしたくなかったので、キャラクターに人間味を持たせ、それぞれ異なる性格に設定しました。
そうして発表された作品が、1961年の『Fantastic Four/ファンタスティック・フォー』です。
同年に社名をマーベル・コミックスに変更しました。
以降、リーはジャック・カービーやスティーブ・ディッコと共に
『The Incredible Hulk』#1(1962年)
『Journey into Mystery』#83(1962年 ソー初登場回)
『Amazing Fantasy』#15(1962年 スパイダーマン初登場回)
『Tales of Suspense』#39(1963年 アイアンマン初登場回)
『Avengers』#1(1963年)
『The X-MEN』#1(1963年)
といったコミックで現在でも人気が高いヒーローを続々と登場させていきました。
50年代半ばから60年代は、アメコミの再ブームであるシルバー・エイジ/白銀時代と呼ばれています。
売上の悪化と経営破綻
1968年にグッドマンはマーベル・コミックスを他社に売却しました。
70年代は売上が悪化したので、自分たちのキャラクターを知的財産として、ライセンス契約を結ぶことで利益を見出そうとしました。
ドラマや映画が作成されましたが、ほとんど失敗に終わりました。
70年代以降、マーベルは2回買収されるも売上の好転にはつながりませんでした。
特に1989年にマーベルを買い上げた投資家のロナルド・ペレルマンは、マーベルの利益を搾取することしか考えていませんでした。
結果として1996年にマーベルは経営破綻してしまいました。
法廷闘争の末、玩具メーカーのトイ・ビズとマーベル・エンタープライズが合併し、マーベル・エンターテインメント・グループとなりました。
自社制作のアイアンマン
ライセンス契約の事業方針はその後も続き、ニュー・ライン・シネマによって『ブレイド』(1998年)、20世紀フォックスにより『X-MEN』(2000年)が制作されました。
現在マーベル・スタジオの社長を務めているケヴィン・ファイギは、 『X-MEN』 にアシスタントとして参加していました。
このころから既に存在感を見せていたようです。
2002年にはコロンビア・ピクチャーズによって『スパイダーマン』が制作され、大成功を収めました。
この時期から、コミックを読んでいた世代で実写映画を本気で作りたいと思う監督たちが現れ始めました。
サム・ライミももちろんその一人です。
ただ、ライセンス契約によって制作された映画の利益は、マーベル側にはほとんど入ってきませんでした。
そこでマーベルは、自分たちで映画を制作するという大きな賭けに出ました。
ライセンス契約のためのマーベル・スタジオ(前身のマーベル・フィルムは1993年に設立)は、映画制作会社となりました。
こうして制作された『アイアンマン』(2008年4月)は大ヒットとなり、ファイギはさらなるマーベル映画を作れると確信しました。
ディズニーによる買収
2009年に、ディズニーがマーベル・エンターテインメントを約40億ドルで買収しました。
そして2019年にディズニーは20世紀フォックスも買収しました。
これにより、20世紀フォックスが権利を持っていたX-MENやファンタスティック・フォーが、マーベル・スタジオでも扱えるようになりました。
まとめ:MARVEL/マーベルの歴史
かなりざっくりではありますが、マーベルの創業から現在までの歩みをまとめてみました。
現在では映画シリーズの興行収入をぶっちぎりで更新し、世界中で人気のある会社へと成長しました。
ただ、そこへ至るまでの道は平坦なものではありませんでした。
まだまだ勢いを増しているマーベルですが、今後どのような物語を見せてくれるのでしょうか。
映画、原作コミック共に終わりが見えません笑。
これからもマーベルを応援していきましょう!!
それでは、今回はこのあたりで。
ありがとうございました!
参考文献
『MARVEL 倒産から逆転No.1となった映画会社の知られざる秘密』、すばる舎、チャーリー・ウェッツェル、ステファニー・ウェッツェル
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